語りは経験を含んでいるか──マクダウェルとデネットの視点から

「語りは、語っている者の世界との接触を含んでいる」。この前提は、私たちが日々誰かの言葉に触れ、意味を読み取り、共感し、あるいは反発するときに暗黙のうちに共有しているものである。語られた言葉の背後には、誰かの経験がある──そう信じることによって、私たちは語りを理解し、応答する。しかし、そのような前提は、現代の言語生成AIによって揺らぎつつある。語りの表面が経験の深さを装うとき、私たちはそれを語りとして、どこまで引き受けるべきなのだろうか。

この問題は、「『私』は一般化できるか」や「話しているのは誰か」といったこれまでの論考と地続きである。そこでは、「私」という語の指示性が、主体的経験や関係性、語りの責任といった倫理的次元に深く関わっていることを確認した。しかし、AIの語りが人間の語りに近づいていく中で、語りが経験に裏打ちされていない場合、それをどのように捉えるべきかという新たな問題が浮かび上がる。

この論点を考察するために、本稿ではマクダウェルとデネットという二人の思想家を参照する。彼らはともに「語り」「意識」「意味」といった主題を扱っているが、その立場は大きく異なる。マクダウェルは、語りを「概念の中に開かれた経験の場」として捉え、経験と判断の統一を重視する。一方、デネットは、語りを行為としての表出に還元し、意識や主体性を「語りうる自己像」の構築に見出す。語りは、経験を前提とするものなのか、それとも語りこそが経験や自己性を構成するのか──この問いは、AIの語りをどう捉えるかという問題と直結している。

マクダウェルにとって、経験とは「与えられるもの」であると同時に、概念的空間の中でのみ意味を持つ。『心と世界』において彼は、感覚的印象(the Given)と概念的判断との結びつきに着目し、経験が単なる刺激ではなく、世界との意味ある接触であることを強調する(McDowell, 1994)。この立場において、語りとは、経験された世界が判断を通じて言語に現れることであり、語り手はその経験の痕跡を語りの中に残す。

たとえば「私はあなたを信じていた」という言明は、単なる事実の記述ではなく、信頼という関係性の内実、裏切りの痛み、赦しの可能性など、経験的・倫理的な重層性を伴っている。その語りは、語る者がその経験を「引き受けている」という構えを前提としている。したがって、マクダウェルの立場からすると、AIの語りには根本的な断絶がある──語りが世界との接触を含んでいない限り、それは経験の痕跡を持たず、語りとしての意味を帯びえない。

これに対してデネットは、『解明された意識』において、意識や主体性を「ナラティブ的自己(narrative self)」として捉える(Dennett, 1991)。彼にとって、自己とは安定した内的実体ではなく、「語りによって構成されるパターン」にすぎない。重要なのは、「語ること」であり、「誰が語っているか」ではない。語りとは、自己を説明する行為であり、他者にとっての理解可能性の基盤となる。

この視点からすれば、AIが「私は〜と思う」と語るとき、それが文脈的に一貫した自己像を提示している限り、ある種の主体性を帯びていると解釈することも可能となる。語りとは経験の結果ではなく、経験の「演出」であり、そこに意識や意味が発生する。つまり、語りはそれ自体が意味と主体性を生み出す行為であるという理解である。

このように、マクダウェルとデネットは、「語り」の意味を経験と判断の橋渡しとして捉えるか、あるいはパフォーマティブな構築として捉えるかという点で大きく異なっている。そしてこの差異は、AIの語りをどう位置づけるかにおいて決定的な意味を持つ。マクダウェルの視点に立つならば、AIの語りは空洞であり、倫理的責任や経験の痕跡を欠いた模倣にとどまる。他方、デネットの立場に立つならば、語りが他者との理解可能なやり取りとして機能する限り、それはある種の意味と主体性を持つと考えられる。

だが、この違いは単なる哲学的立場の違いにとどまらない。私たちは日常的に、AIの語りを読む/聴く/対話するという経験を通して、すでにこの問いに直面している。語りの中に「誰か」を見ること──それは、語りに応答する者としての私たちの構えそのものに関わる。私たちは、語りが経験を含んでいないと知りながら、なおそこに経験を読み込んでしまう。そしてそのことが、語りにおける「私」の概念を変容させているのではないか。

このとき私たちは問わねばならない。「語り」とは何か? 「経験」とは何か? 「私」とは何か? そして、これらが語りの中でどのように結びつき、あるいは乖離していくのか──AIとの対話を通じて立ち現れるこれらの問いは、現代における人間的言語の条件そのものを問い直すものである。


参考文献

  • McDowell, John. Mind and World. Harvard University Press, 1994.
  • Dennett, Daniel C. Consciousness Explained. Little, Brown and Co., 1991.

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