“Man is not what he thinks he is, he is what he hides.”
— André Malraux, La Condition humaine (1933)
私たちは、なぜ「信じたくなる」のでしょうか。
「信じる」とは、自分の心の中で何かを確かなものとして受け入れる行為です。それが事実であるかどうか、証拠が十分にあるかどうかにかかわらず、私たちはときに何かを“信じたくなる”衝動に駆られます。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。
この問いに答えるためには、人間の心理的・社会的な構造に目を向ける必要があります。信じるという行為は、単なる認知的な判断ではなく、感情、欲望、社会的動機に深く根ざした行動でもあるのです。
1. 信じることは「安心」をもたらす
不確実な状況において、私たちは何か確かなものを求めます。将来の見通しが立たないとき、健康や安全が脅かされているとき、不安や恐れが心を占めるとき──私たちは「何かを信じること」によって、心の安定を取り戻そうとします。そうすることで胸の内に何か確かなことを抱くことができ、心を落ち着かせることができるからです。
たとえば、ある健康食品が「免疫力を高める」と聞いたとき、仮に科学的な検証が不十分であっても、それを信じることで「自分は大丈夫だ」と思えるという期待があるとき、私たちはただ安心のためだけにその情報を受け入れてしまうことがあります。
このように、「信じる」という行為は、ときに事実を確かめるためではなく、感情を安定させるための心理的な装置として働いています。心理学者レオン・フェスティンガーの「認知的不協和理論」によれば、人間は内面的な不安や葛藤を回避するために、すなわち認知的不協和を解消するために、状況に合致する信念を選びがちであることが示されています(Festinger, 1957)。
2. 共感と所属感が信念を強化する
私たちは、自分が属するコミュニティや親しい人々と、世界を共通のかたちで理解しようとします。つまり、「あの人が信じているから私も信じたい」「みんながそう言っているから、自分もそう思うことにする」という形で、信念が社会的に共有・強化されていきます。
これは、心理学でいう「同調」や「集団規範」の効果と関係しています。アッシュの同調実験(Asch, 1951)では、明らかに誤った意見にも関わらず、多くの人が周囲に合わせて同じ答えを出す傾向があることが示されました。SNS上でも、「いいね」やリツイートの数が多い情報ほど正しいと思い込んでしまうのも、こうした心理の現れです。
信じることは、単に情報を受け入れる行為ではなく、「誰とともにあるか」を選ぶ行為でもあるのです。
3. 認知バイアスが信念を支えてしまう
人間の思考には、無意識のうちに判断を歪めてしまう“クセ”がいくつもあります。その代表的なものが「確証バイアス」です。これは、自分の信じたいことを支持する情報ばかりを集め、反対の情報を無視・軽視してしまう傾向のことです(Nickerson, 1998)。
たとえば、「○○は体に悪い」と一度信じてしまうと、その説を裏づける記事ばかりを探し、逆の主張には目を向けなくなってしまいます。あるいは、ある芸能人に良い印象を持っていれば、否定的なニュースよりも肯定的なエピソードに強く共感してしまう。こうしたバイアスが、私たちの「信じたい気持ち」を強化していくのです。
また、「後知恵バイアス(hindsight bias)」や「利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)」なども、信じたい情報が“もっともらしく”見えてしまう背景にある心理的メカニズムです(Tversky & Kahneman, 1974)。
信じたくなることの自然さと危うさ
信じたくなること自体は、人間にとってごく自然な心のはたらきです。私たちは感情の存在であり、他者とともに社会を生きる存在だからこそ、安心や共感、つながりを求めて「信じる」のです。
けれど、そうした「信じたい気持ち」だけで判断してしまうとき、私たちはしばしば誤った結論に導かれてしまいます。信じることには、慰めと同時に危うさも含まれているのです。
だからこそ、信じたくなるときほど、自分に問いかけてみることが大切です。
「なぜ私は、これを信じたいと思っているのか?」
この問いを通して、自分の中にある信念の輪郭を少しずつ見極めていくこと。そこから、もう一度、冷静な判断へと歩み出すことができるかもしれません。
次回は、「“それっぽさ”はどこから来るのか?」──納得感や説得力が、信念の形成に与える影響について考えていきます。
出典・参考文献
- Festinger, L. (1957). A Theory of Cognitive Dissonance. Stanford University Press.
- Asch, S. E. (1951). Effects of group pressure upon the modification and distortion of judgments. In H. Guetzkow (Ed.), Groups, leadership, and men.
- Nickerson, R. S. (1998). Confirmation Bias: A Ubiquitous Phenomenon in Many Guises. Review of General Psychology, 2(2), 175–220.
- Tversky, A., & Kahneman, D. (1974). Judgment under Uncertainty: Heuristics and Biases. Science, 185(4157), 1124–1131.
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